激しい雨が降り注いだ夜が明け、
何気なく見ていたテレビの速報に、
一瞬時が止まりました。

【麻原彰晃、死刑執行手続きへ!】

これまで何度かブログに書いたの
ですが、

【死刑執行】

という言葉を聞くと、何か反応してしまう
自分がいます。

それについては、こちらをご覧くださいませ!

その中でも記していますが、私は
死刑廃止論者ではありません。

ただ、その人物がどのような存在で、
どのような思考や、心を持ち得ている
のかには、関心を持っております。

今朝、刑を執行された人物について、
調べてみました。

その中で、

【井上嘉浩】

という人物の書いたとされる手紙を目に
しました。

それは、全てのオウム裁判終結した後の、
今年平成30年2月6日に記したものの
様です。

その中のある文章に目がとまりました。

罪をめぐるいのちの痛みと悲しみをじっと静かにかみしていると、どこからからともなくいのちの眼差しを感じます。そのようないのちは、私のものでも、誰のものでもなく、人間が作り出すどのような罪や過ちも、悲しみや苦しみももれなく受け止める底知れぬ愛に満ちながら、同時にどこまでもじっと黙って見つめ、突き放し、一人一人が人として成熟していく厳しさがあると感じます。

ただただ静かに涙がこぼれます。

このようないのちの眼差しは、決して特別なものではなく、人が人として人を愛したり、大切にしたりする時、誰に教わることもなく、自然に感じていることなんだと、今さらながら思います。

それなのに多くの宗教はこのようないのちの眼差しに神や仏のレッテルを貼って特別あつかいにすることで壁を作り、人々の生活から遠ざけてしまっているように思われます。
引用元:http://yoshi392.sakura.ne.jp/sinsinahansei.html

この最後に記された部分。

【多くの宗教はこのようないのちの眼差しに
神や仏のレッテルを貼って特別あつかいに
することで壁を作り、人々の生活から遠ざけて
しまっているように思われます】

麻原が、自らの欲望を満たす為に神の名を
使用したという事をも示しているのでしょう。

一部に存在する、怪しきスピリチュアルの
世界では、

【神様がこう言っている】

【神様が怒っている】

【神様が特別に呼んでいる】

などと、神様の名を借り、その言葉だとして
伝えたりしています。

そして、スピリチュアル的な感性のある方の
中には、こう言った言葉をよく発する方が
おられます。。

【神は自分の中にいる】

と。

確かにそう捉える事もできます。

しかし私はこの捉え方だけでは、危険な
側面を有していると思っています。

【時に自分の中にいるとする神は、実は
自分にとって最も都合の良いものを
神としているのではないか】

何もないと言える時には、

【自分の中にいる神には感謝を
伝えるでしょう】

しかし、例えば大変な病気に冒されたと
します。

そんなときでさえ、

【自分の中にいる神は感謝を伝える
存在であるでしょうか】

おそらくその時は、不安や恐怖により、

【自分の中にいる神に自分だけを救って欲しい
と願うかもしれません。】

いや、もはや、

【神等どこにも存在しない、とさえ思う
かもしれません】

こんな風に、自分の中にいる神は、自ら
の都合で大きく変化させる事が可能です。

私の捉え方を簡単に記します。

【私たちは、私たちの魂は、神様の分霊
(わけみたま)である。

あくまで、分霊であるためその源となる
ものは、別に存在しています。】

その別に存在している存在の事を、仮に

【根源神(こんげんしん)・外在神(がいざいしん)】

と呼ぶならば、私の中にいる存在は、

【内在神(ないざいしん)】

と言えるでしょう。

その内在神と外在神を、常に一致するよう
努める事が大切だと思うのです。

ただ、

【神は自分の中にいる】

という解釈だけでは、結果独りよがりの
、都合を優先してしまう事があり得るの
ではないかと思うのです。

私が神社参拝を続けている意味も、

【神は自分の中にいるという解釈が結果、
独りよがりの神となる危険性を回避する
ため。

自らの欲を満たす為の言動とならないよう、
あくまで、外在神と内在神が存在し、それが
常に一致しているかを自己認識するため】

でもあると観じました。

もし神が私たちを見るとするならば、皆等しく、
所謂、特別視をする事はありません。

特別に見えたとしたら、特別だと感じだと
したら、それは、特別なのではなく、
それぞれの役目であるだけなのです。

しかし、人間が神を見る際には、井上の
言うように、人々から神を遠ざける事も
できれば、特別に神から愛される人間を
作りだす事さえできるのです。

こんな文章を記したからと言って、死刑囚
であった井上を賞賛する気は毛頭ありません。

ただ、彼が己の死を目前して辿り着いた世界
に、今の世の中を重く感じていました。

その彼の最後の文章には、こう記されています。

当時と同じような事件が引き起こされるのは、時間の問題だと大変に危惧しています。

それは否定できないと、そう感じます。

【皆様の神が、それぞれの特別な神と
なりませんように!】

明日の七夕での私の願い事が一つ見つかりました!!

そしてもう一つ!

大きな被害がでませんように!】