5月29日(火)京都の鞍馬寺で行われた

【ウエサク祭】

に6名で参列させて頂きました。

私は今回で5年目となりますが、雨風、
そして冷え込みもなく、過去最高の
好条件の下での【ウエサク祭】でした。

ウエサク祭は、2時間ほどの祭典の
中で

【きよめ】 【はげみ】 【めざめ】

という3つの内容が連続して行われます。

簡単に言えば、

【きよめ=清め・祓い清め】

【はげみ=励み・修行・気付き】

【めざめ=目覚め・自覚・決定・再生・出立】

こんな意味でしょうか。

最も強い月の力が宇宙から地上に降り注がれる
という、5月の満月の力により祓い清め頂き、
そして誰もが本来持っている純粋無垢な御仏の
心に気付き、自分と全てのものの、めざめの為に
祈るのです。

その一日は数多くの幸運に恵まれている事に
気付かせて頂きました。

織田信長の最期の場所として有名な本能寺では、
その日から6月3日までという、限定御朱印を
授与頂けました。

鞍馬・貴船はじめ全て立ち寄った所の駐車場が
最も近い位置に確保できた事。

ウエサク祭では祭祀の様子が最もよく見える
場所が確保できた事。

先程書いた通り雨・風もなく天候に恵まれた事。

九頭龍神社では、ハクビシン(神の使いとも言われる存在)
を見せて頂けた事。

貴船では大祭前の準備として磨かれていたお神輿を
拝見できた事。

何よりもそこの美しい新緑の光景。

ウエサク祭が終了し、下山途中で見た不思議なミミズ。

(シーボルトミミズというそうです)

全てにおいて良きご縁を頂けました。

鞍馬寺の前に参拝させて頂いた

【九頭竜大社】

では、ご本殿を時計回りに9回まわり巡拝する
独特の参拝作法が伝わります。

その際、9本の竹のお千度棒を持ち拝礼します。

その竹の棒には、どこかの誰かのお名前が
記されています。

おそらく様々な想い、いわば願掛けの為に
お参りされた方が置かれた物だろうと
思います。

病気平癒・良縁祈願・家内安全・商売繁盛。

その想いは様々であるでしょう。

その竹の棒を手にして拝礼するという事は、
自分の想いは勿論の事、棒をを納められた
方々の想いも同時に神様にお伝えしていた
わけです。

直接会った事はない、どこかの誰かの

【願いを、祈りをも神様へと繋がせて
頂いたわけです】

ウエサク祭においては

【こころのともし火】

というロウソクに灯す火を、前の方から
受け順に後ろの方へと繋いでいきます。

その火は本殿奥、ご本尊である尊天御宝前の

【消えぬ火】

から移されたものなのです。

スタート地点は神様からであり、神様の祈りを、
願いをともし灯という形に表し、人から人へと
繋いでいったのです。

ただロウソクからロウソクへ火をリレーした訳
ではなく、九頭龍大社での9度参りと同じく祈りを、
願いを繋いだのです。

神に祈り、願いがあるならば、

それは、ウエサク祭において示される

【地上の全てを清め、人々を真智の光に導き、
深き慈愛のみ心をもてすべてを護る】

事なのだと思います。

全ての幸せ。

そのための条件を一つ、簡単に言うならば

それは、

【世界:平和】

という事になるでしょう。

その神の祈り・願いを感じ、そしてそこに集いし
人々と共有し同じ時を過ごし、集いし以外全ての
存在に対してをもめざめと平穏を祈る。

それこそが、ウエサク祭の意義なのだと思います。

ウエサク祭の祭主を務められます、鞍馬寺の
女性管主は90歳を超えられています。

私の位置から見えた車いすに乗られる管主様は、
その命を削られているかのように見え、
思わず涙が出そうになりました。

あの時、神様から頂いた想いは、ロウソク
に灯った火という形として間違いなく
私たちの手元にありました。

そこに満月からエネルギーが降り注がれた
宝棒でお力を頂き、清水を頂きました。

ウエサク祭に行った方が特別選ばれた
訳ではありません。

よく言う、神様に呼ばれた訳ではありません。

神様は常にオープンであり、特定の存在のみ
呼ぶという様な事はありません。

ご縁を頂ける自分である事。

そう在り、そして求めさえすればいつでも
神の力のご縁は頂けるのです。

私たちに常に頂ける様々な幸運であると感じた
出来事を、深く味わいながら、究極の境地でもある、

【地上の全てを清め、人々を真智の光に導き、
深き慈愛のみ心をもてすべてを護る】

自分自身そんな存在であるように、そしてまた
来年もご縁を頂けるような自分であるように
歩んで参りたいと思います。

ご一緒下さった皆様、誠にありがとうございました。